きらきら生活ブログ

お雑煮を楽しみましょう

お雑煮の歴史

鏡餅やお雑煮など、餅というとお正月に食べるものというイメージが強いですが、本来は節句や人生の門出など、ハレの日に欠かせない食べ物でした。
餅は2000年以上前に生まれ、稲作とともに東南アジアから日本へ伝わったといわれています。古来、日本人は稲に人々の生命力を強める霊力、即ち「稲魂」や「穀霊」が宿ると信じ、餅にするとその霊力がさらに強まると考えられていました。そのため、餅は神聖な食べ物として特別に崇められるようになり、祝いの食べ物として人々に浸透してきました。
雑煮の発祥は室町時代の京都とされ、貴族や武家など上流階級の宴で最初に振る舞われるのが雑煮でした。そもそも雑煮とは、鰒や里芋、大豆といった体に良い食材を入れた煮物のことで、酒を飲む前に食べて五臓を保護する役割があったといいます。
やがて江戸時代になると、鏡餅に野菜、鶏肉、魚などを加えて煮込んだ「餅雑煮」となり、正月料理として庶民にも定着。年神様に供えた餅とその土地の産物を一緒にいただくことで、新年の豊作や豊漁、家内安全などを祈り、新しい年を祝いました。

餅の形

お雑煮に使われている餅は、関東では一度焼いた角餅、関西では焼かない丸餅が一般的です。しかし、もともとはお雑煮に使われる餅に地域による違いはなく、関東も関西も丸餅だったそうです。それは、丸餅は満月をかたどった円形であり、豊作を祈願していたからです。そして、この形が魂を象徴する形であったことから、一年の初めに丸餅を食べることで神様の力が得られると考えられていたからです。
なぜ角餅が普及したのかについては2説あり、江戸時代に人口が江戸に集中してしまい、一つひとつ手で丸く作る丸餅よりも、四角く切るだけで作ることができ調理の効率が良い角餅が江戸を中心とする関東地方で使われ始めたという説と、武家社会では敵を「のす=討つ」という縁起の良さから、のし餅を切った角餅を使うようになったという説が考えられています。
また、丸餅と角餅、どちらを使うかの境界線は、関ヶ原の合戦の影響を受けてできたという説もあり、この合戦の主戦場である岐阜県関ケ原を境に分かれたとも言われています。

全国各地のお雑煮

関東では一度焼いた角餅、関西では焼かない丸餅が一般的なお雑煮ですが、味付けはすまし汁が多いようです。しかし関西地方では味噌仕立てが多く、山陰地方には甘いあずき仕立てのお雑煮もあるそうです。
一杯のお雑煮には、その土地の風土や文化、そして家族の歴史や思いが込められています。この機会にご家庭のお雑煮を振り返ってみたり、新しい味のお雑煮を試してみてはいかがでしょうか。

 看護師からのひとこと

お餅を食べるときは、
・食べる前にお茶などの水分を取り、のどを湿らせる。
・食べながら話さない。(話すときの息継ぎで、のどに流れこんでしまうことがあります。)
・短冊切りなど小さく切って食べる。

このようにすると、のどに詰まるリスクを下げることができます。
おいしく、楽しく食べるためにも、ぜひ試してみてください。

引用参考文献
・SKYWARD 2015年12月号
日本文化いろは辞典

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